論理論理って論理的であることって言うほど重要?

2018年01月16日

朝起きたと思うと、大体もう午後。どうも、働きたくない大学生です。少し前から書店とかでめっちゃ見るようになったこの単語。「論理(ロジカル)」。みなさんはどう思いますか?

僕は正直、あんまりいいと思いません。て言うか、ロジカルに説明されても、あんま心動かないですよね。例えば恋愛とかで考えてみてください。

「君は僕と付き合った方がいい。なぜなら、美味しいお店もよく知っているし、相手を楽しませるデートの経験が多いからだ。」とかゴタゴタ言われるより、目を見て「好きです。」って言われた方がキュンときますよね。僕だったら顔がいい方を選びます。まあ、論理ってなんかゴタゴタしてるんですよ。

まあ、世の中の漫画とかを見ても、主人公って大体ロジックよりもパッションじゃないですか。対比をカタカナ同士にしたかったのでなんかルー・大柴みたいになりましたね。この「・」を入れるだけで村上春樹気分になれるのでみなさんもぜひやってみてください。

何が言いたいかって言うと、結局最後に人を動かすのは情熱であるということです。あ、なんかその辺の本と同じことを言い出してしまいましたね。でも僕のはブログだから無料です。

だってまあ、ムカつく奴の頼みとかそこそこお金もらっても普通に叶えたくないし、正論振りかざされても実態とそぐわなかったら「何をトンチンカンなことを・・・」ってなりますよね。お金もらえたらやるわ!って人は(僕的には)結構すごいので、その調子でお金を大切にしていけばいいと思います。僕は嫌です。

論理って飛躍しちゃいけないから、面白くないんですよ。面白いものって、大体どこかに飛躍があると思います。例えば、Instagramってそうじゃないですか。あれ、機能としてはフェイスブックとかツイッターに元々あった機能ですよね。それなのに、あんなに流行った理由ってなんかカッコいいからだと思います。

飛躍しないと、今あるものの「改善」しか生まれませんよね。でも、いいと感じるものってその論理に則った改善じゃない可能性もあるじゃないですか。

同じ質の物の数を増やすには確かに論理が有効と思うんですけど、今ってこれ以上同じ質の物を増やすよりも、今あるものとは質の違うものを作って、多様化する個人のニーズに対して満足度を上げていった方がいいと思うんですよね。

どうせだったら、同じ質のものが大量にある社会よりも、ものが少なくてもあるものの質や種類の幅が広い、そんな社会に生きていきたいと思いますが、そうでしょう。