アハ体験した時の顔
アハ体験した時の顔

働きたくない人

いや、ホントに。


働きたくない東大生です。法学部3年生。親の目を誤魔化すために就活してますけどなんとか逃げたいところ。甘いものが大好きです。好きなことだけして生きていきたい。本当に心からそう思ってます。



自己紹介がてら自分の半生を振り返りますね。


生まれた場所は確か東京都杉並区だったんですが、生まれてすぐ茨城県の下館市(現在は筑西市)に引っ越して、5歳までそこで過ごしました。


その頃の記憶とかほぼないんですが、節分の時に父が面白がって投げた豆を口でキャッチして食べてたら気管支に詰まって死にかけたらしいです。ここから二回目の人生が始まったようなもんですね。


そこからまた杉並区に戻って、高校二年生まではそこで過ごしました。て言っても、地元の学校通ったのは小学校の時くらいだったんですが。


小学校の時は一番太ってたんで、ややいじめられてましたね。


サッカーやってたけど、キーパーでした。サッカーには、デブはキーパーというしきたりがあります。


その頃の遺産もあって、めっちゃ太りやすいです。最近また太りました笑


親が定規とかでビシビシ叩きながら中学受験の勉強をさせてくれたおかげで、名門の中高一貫男子校に入学しました。


しかし、遊び呆けたり問題行動を起こしたりしながら6年間過ごしました。


学年で一番謹慎を食らった子だったと思います。(昔は悪かったんだぜアピールです。)


学校の生徒は大体300人くらいいたんですが、定期テストでは一度も200位以内に入ったことがなかったです。


ていうか大体クラスで下から二番目とかでした。


ちょっと背伸びしてごめんなさい。高校アフロ田中くらい、エロいこと考えたりとかくだらないことばっかしてました。


中学の頃は剣道やったり軟式テニスやったり、生徒会やったりしてたんですが、あんまり真面目にやってなかったな。


高校ではテニス部だったんですが、仲良い人に誘われてバレー部入ったら、テニス部の顧問に「半端になるならどっちかやめろ。」と言われ、どっちもやめました。


そんなこんなで受験勉強の時期になりました。いわゆる東京の名門塾には中一の頃に入塾させられたんですが、全然行かないし素行も最悪だったので普通に中一でやめさせられました。


成績は最悪。塾も行かずに遊び倒してるうちに受験まであと一年とかになったので、そんな僕も塾に通うことに。


大体の塾がもうビシバシやってたりしたので普通についていけないとこばっかだったんですが、基礎からしっかりやってくれるところがあって、なんとか勉強できました。


しかし、現役での受験は失敗。全落ち


高望みしましたね。みんな受けるしいけるだろ、くらいのノリで東大、早慶だけ受験しました。


残念!あえなく浪人してしまいます。


浪人の時期、始めの3ヶ月くらいはかなり頑張って一日平均で14時間とかやってました。完全に狂ってましたね。そこから一気にやる気がなくなって、夏とかは一日3、4時間くらいの勉強量でした。


そのままなんかいい感じに東大文一に合格しました。運も良かったと思います。直前期に集中したかったので、センターと東大しか受けませんでした。


さて、いざ大学生。キャンパスライフを楽しんでやるぜ!ってなった時に、友達に金髪にされました。


癖がすごい髪質だったので、金髪アフロです。


さすがにおかしいやつだと思われたらしいです。あとで色んな人に言われました。(二回目の昔は悪かったんだぜアピールです。)


そのままテニスサークルに入り、ダラダラとテニスしたり遊び歩いていました。


一年生の時にサークルの合宿で飲みすぎて、青いゲロを吐いて呼吸をしなくなって、冷たくなっていたらしいです。


意外と死は身近にあります。まさかの三回目の人生の幕開けです。


成績は最悪でした。文一から法学部に進学した中でも一、二を争う成績の低さでした。



ていうかビリだったやつが留年したので多分僕がビリです。


そのまま三年生の夏になって、いきなり就活を始めるという謎の意識の高まりを見せます。コンサルのインターンに行きました。


そこで出会った人は、今も優しくしてくれたりしていて、行って良かったな、という感じです。その後、2ヶ月くらい意識が高かったのですが、ある日普通に気づいてしまいました。


「ああ、俺全然働きたくないわ。企業就職とか多分無理だわ。」


と。そこからずっと働かないで生きていける方法を考えたんですが、その過程で考えたこととかを残して生きたかったので、このブログができた、というわけです。


長々と書いたのを読んでくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いします。